2018-07-13 第196回国会 参議院 内閣委員会 第27号
なぜかというと、高野山の関係者の話を聞きますと、林間学校でもうええかげんえらい目に遭うているさかいに、きちんとした宗教的施設であることを理解できるような外国人に来てほしいと、こういう提案をしたときに、ああそれじゃフランスだという話になって、じゃ、高野山のプロモーションをパリに限ってやる、フランス人にターゲットを絞って高野山の魅力を訴えると、これで集客に成功してきているんです。
なぜかというと、高野山の関係者の話を聞きますと、林間学校でもうええかげんえらい目に遭うているさかいに、きちんとした宗教的施設であることを理解できるような外国人に来てほしいと、こういう提案をしたときに、ああそれじゃフランスだという話になって、じゃ、高野山のプロモーションをパリに限ってやる、フランス人にターゲットを絞って高野山の魅力を訴えると、これで集客に成功してきているんです。
○河野委員 前回の審議の中で、民主党の委員は、キャンプ・コートニーの教会という宗教的施設に日本が出した金が使われるのはおかしい、そういう議論がありました。キャンプ・コートニーの教会はどうなったんですか。
宗教に対する寛容の態度を尊重するというならば、訪問する宗教的施設に対する理解を深めるということも重要でございます。 一方、信徒となるように誘うなど、特定の宗教を援助したりすること、そういうことはもうもちろん禁止されておるわけでありますが、今度逆に、批判、圧迫したりするなど、そのような学習を行うこともまたこの宗教的な施設に対する偏見をあおることになって好ましくないと考えますが、どうでしょうか。
そういうことでございますから、ここで言う禁止されている宗教活動というこの解釈でございますけれども、宗教的意義を有する行為であって、その効果が宗教に対する援助や圧迫などに当たると、こういうふうにするものということでございまして、これは最高裁の判例もあるわけでございますけれども、そういうものでない限り、国公立が主催して寺社や寺院又は教会等の宗教的施設を訪問することについて、宗教的活動に当たらない限りにおいては
○国務大臣(渡海紀三朗君) 御指摘の件でございますが、昭和二十四年文部次官通達ということでございますけれども、この御指摘の通達は、当時の連合国最高司令総本部の覚書などを踏まえて、国公立の学校が主催をして神社、寺院等の宗教的施設を訪問することなどについて配慮事項ということで出されたものでございます。
ちなみに、昭和二十四年文部事務次官通達では、公立校でも宗教的施設の訪問は許される、強要はしないけれども許されるというふうになっておりますけれども、その辺はいかがでございましょうか、遠山大臣。
○江田五月君 私は、靖国神社というのは、幾ら理屈をこねてみてもそれはへ理屈で、宗教的施設であって、そこへ参拝することは宗教的な行為になるし、また靖国神社に合祀されている仕方がやはり近隣諸国の神経を逆なですることになっておる。慎重に考えなきゃならぬ。
その点につきましては、私どもは、先般の総理の靖国神社公式参拝というものはあくまでも専ら戦没者追悼を目的としておるわけでございまして、靖国神社が宗教的施設であるということに着目するのではなくて、むしろ多くの国民や遺族が靖国神社を戦没者追悼の中心的施設であるとしておるところに着目して、専らそのような追悼の目的ということに目的を限定いたしまして、そうして拝礼をしたということでございまして、ちょうど武道館で
するとおっしゃられたけれども、実は昭和二十年十二月四日、終戦連絡局がGHQに提出した神社問題対策をめぐる第二回の公式会談で、向こう側、アメリカ側はバンスという大尉が出て、こちらは曽祢益さんが外務省にいられて、その方との第二回会談があって、バンスの方から、要するに靖国神社を非宗教的で普遍的な戦死者の記念碑的なものとして存続をすることについてはどうかというような話があり、曽祢益さんの方から、いやむしろ宗教的施設
○説明員(茂串俊君) 今回の公式参拝につきまして、宗教色を除いた上でやっておるのかどうかというような御質問と伺いましたが、靖国神社が宗教的施設である以上、総理、閣僚の靖国神社参拝が宗教とのかかわり合いのある行為であるということ、これは否定できないと思うのでございます。
しかし靖国神社は、かつて国家神道の一つの象徴的存在であり、現在も宗教的施設で憲法上の宗教団体である以上、その靖国神社に公式参拝、いいですか、参拝というのは何かと言えば、参拝自体はこれは宗教行為なんですよ。参拝をしたということは宗教活動なんですよ。大変なことだ。公式参拝なんてここで出したって、これは大変なことよ。
しかしこれは宗教的施設はございませんから、これは多少鳥居のあるなしの違いはございます。ございますけれども、非常に潔癖な人があればやはり明治神宮というものにこだわる方もそれはあると思いますし、そういう問題もございますが、ああいう外苑は開放するというように使っておるわけでございます。
その反対も理屈がありそうだということと、それから、第二に、宗教的施設を離れて、そして故人を祈念する、感謝するという設備を作ることは、非常によきことであるのではなかろうかという気がいたします。
初めから靖国神社を宗教的施設であるときめてかかったんでは、初めから問題は起らぬのです。問題は、靖国神社が宗教的施設かどうか、これが本質的な問題であろうと思います。ただいま委員長から具体的な質問点を明らかにせられましたが、私が京都で受け取った私に与えられた問題は、国家と宗教、こういう題でありましたので、私もそのつもりで構想をまとめてきております。